追憶。

卒業や脱退ではなく、いきなり結婚・妊娠ということになったからか、
ことの大きさにまだ頭が追いついてない状態のような気がします。



少しずつ頭を整理するため、
参戦履歴など見ながら昔の日記を読んだりしてみました。


はじめて行った正月のハロ紺は、
ちょうどミニモニがメジャーに成り立てだったんですよね。
まだ右も左もわからないハロの現場で自分なりに必死にやっておりました。


最初のスポフェスと同日に放送された、ねーさん卒業記念と言う名の奇跡の番組。
後にも先にもあれ以上の番組って見たこと無いですよ。
お母さんの得意料理というあの食べ物は
ちゃんと受け継いで作れるようになっているのかな…。
神田川さんとかに作ってもらった料理が熱くて
それを我慢してちゃんと食べようとする姿がなんとも可愛かったですね。



そしてはじめていった娘のツアー。
いきなり姐さんの卒業ツアーだったわけで、
残念ながら卒紺を見ることはできなかったんですけど、
ライブ自体ミラコをはじめ良い曲ばかりだったから
横アリしか行ってないのにかなりしんどい事になってたもんな。


この年はスポフェスに続いて恒例行事となる
ミュージカルも新たに始動したんですよね。
脇の脇のような役だったけど、一生懸命動き回って
姐さんにちょっかい出しているところなんか、ほんとにまだまだ子供だったし。


夏のハロ紺・娘ツアーのあと、
秋のツアーは公演数少なかったけど初のフルコンプ。
ちょうど仕事が一区切りして休み貰えていたからかなり満喫できたんすよね。
主に西側が多いツアーで、沖縄や鹿児島に行ったのもコレがはじめてでした。



次の年も映画、ライブ、収録、ミュージカルと初年以上に色々まわりました。
北海道いったのもコレが最初ですね。
またこの年は、春ツアーではじめて娘ヲタ関係の人と知り合い、
そこから広がって今の仲間達とも知り合って
娘やハロの現場ではいつも楽しく過ごさせてもらっています。
ほんとみんな良い人ばかりだし。
どんな仲間と知り合えるかというのも、
こういう活動続けていく上では大事な要因のひとつですよね。


前の年に行った秋ツアーで、割と猛者っぽい集団と知り合ったんですけど、
どうもそりが合わないというか、一緒にいても面白くないので
結局それ以来サッパリ連絡もとってないですし。



3年目になり、娘NONSTOPツアーで北から南までまわりつつ、
夏にはとうとうハワイまで行ってしまうし。
娘自体初のハワイツアーということもあり
試行錯誤をしたイベントだったとは思いますが、
これはこれで行けて楽しかったもんな。
一人参戦だったけど、仲間内何人かで行けばもっと楽しめたでしょうね。
握手会であったハプニングも今では懐かしい思い出です。
色々ケチが付き始めたのはこの頃からですかね…。



年末からは娘を2分割しての、おとめ・さくらツアーが始まり、
翌年最初の正月ハロ紺では、夏に彼女があい某と供に娘を卒業するという発表。
いつかは来るだろうと思っていたけど、予想以上に早かったかな。


卒業までのライブは主におとめ紺で、
娘として最後のツアー、BEST of JapanSSAでのライブは最高でした。
セットリストも何もかもね。
ライブ中彼女が拾って投げてくれた特効の紙切れは今でも持っておりますよ。


娘ツアーのあとは、新ユニットとしてまっさんのイベントに参加し、
今後二度とないであろう奇跡のコラボを見せてもらえたし。


ミュージカル・文化祭とあったあと夏ハロで娘卒業。
卒業しても次の活動がもうわかっていたから、
卒業自体そんなに悲しくもならなかったし、先が楽しみでもありましたし。


この年の後半は、WとしてBKと一緒に行う初ツアーWスタンバイが
夏からほぼ毎土日あったんですよね。
休まる日が無かったけどとても充実してました。



5年目はW主演ミュージカルや、
松浦・メロンとパーティを組んで行った、俗に言うキャプ紺が前半のメインでした。
夏には去年と同じくBKと組んで行うツアー、HIGH SCOREが始まり、
後半になると、キャプ紺NEOと称して再び松浦・メロンとツアーでした。


なんといってもこの年は、WのCD発売イベントや、
初の単独イベントなんかもあったりして、
これまでよりもグッと彼女達に近づけたんですよね。
タワレコ名古屋城も大阪も福岡も、
どのイベントも鮮明に覚えておりますよ。



6年目には諸々あって彼女一人の活動が多くなり、
後藤・美勇伝と新たなパーティを組んでキャプ紺を行う事に。
イベント面に関してはこの年が晩年といってもいい感じでしょうか、
主だった活動があった最後の年なのに、
自分の病によってその殆どに参加できず、
聖誕祭にも行けなくて、来年こそは…! と思っていたけれど、
もはやその思いも叶わぬものになりつつあり…。



そして今年、病み上がりでも出来る限りイベントには参加しようと思い、
不安がある中行った新ユニットギャルルのイベントが
まさか最後のイベントになるとは思いもよらず。
FCイベントの前の軽いイベントのような気持ちでいたもので終わってしまうとは…。


前向きに考えると、最期のイベントに行けたから、
それはそれで良かったとも思えますが、
この終わり方だけはどうにも納得いくことが出来ません。



こうして過去を振り返ると、
前半の娘を追っていた時期とWが活動始めた頃が一番充実していたんですね。
やはり現場があるかどうかが大事なとこで、
後半は現場そのものの数が減っていたし。
彼女の現場が無いからって行かないでいると身体が鈍ってしまって、
いざと言う時何も動けない状態になると言うのは
この間の娘紺で散々思い知らされたばかりだし。


この先、彼女が復帰して戻ってきた時に
いつでも受け入れられる状態にしておくためには…
と考えると、自ずと自分が進む道が見えてきましたね。